日曜日の朝に自宅から書いています。
昨日まで仕事で沖縄へ出張でした。
沖縄は私の大好きな地です。
20~30代の頃、年に一度、毎年遊びに行き、
「いつか移住したい」という、はかない夢を抱いていたものです。
そんな沖縄へ、仕事で行くというご縁に恵まれました。
仕事とはいえ少しでも青い海を見られるのではないか、と甘えたことを思っていましたが、
帰りの飛行機の中から一瞬垣間見ただけでした。
沖縄といえば海を連想する方が多い思います。私もそうでした。
しかし沖縄は、かつては琉球王国であったほど、大きな島であり、
海に囲まれてはいても、日常生活で海は見えないということを始めて知りました。
考えてみれば、私も横浜に住んでいますが、
横浜といえば港というイメージがあるかもしれませんが、
港を見るのことはめったにないのと同じかもしまれませんね。
さて今回は、稲盛和夫さんの勉強会の機関誌53号(2003年6月号)より。
・判断の基準をどこに置くか
昨今の日本の状況を見ていると、本当にリーダーらしいリーダーが、経済界や官界、また政界にも見受けられない。この“日本丸”はどこへ行くのか、日本の行く末を考えると、悲観的になってしまい、今のままでは経済はおろか、国家そのものの存在が危ういのではないかと危惧する。
この厳しい状況下でも、「自分の企業は自分で守る」という気概を持ち、たくましく生きていかなければならない。そのためには、経営トップと従業員がともに共有できる理念を持たなければならない。それを「哲学」「人生観」「倫理観」「理想」「信念「考え方」とも言う。また、「心を高める」すなわち「心の純粋性を増す」ように、心を清め、純粋な心をつくっていけば、経営は必ずうまくいく。これは、資本主義を謳歌するアメリカ人にも通ずる。なぜならアメリカ人でも敬虔なクリスチャンがおり、宗教的倫理観を持っているため、東洋哲学あるいは仏教哲学に関する話を理解できる。リーダーの持つべき哲学や倫理観について、根底から話すと正しく理解することができる。
「税金を払いたくない」「人生面白おかしく生きたい」という経営者の企業の業績は上がらない。ストイックなまでに厳しい考え方を持たなければならない。経営を伸ばすには、どんな零細であろうと自助努力以外に方法はない。どのような逆境であろうとも覚悟を決め、全責任を背負ってやり抜かなければならない。
そのために様々な経営判断に迫られる。その際に「〇〇はどう思う?」などと聞き「決断を回避」する(=判断基準を持たない)ことは良くない。次に良くないのは「同業者はどうしてるのか」と状況を確認すること。経営というのは状況に合わせるものではない。自分の中に判断の座標軸を持ち、自分で判断しなければならない。判断をするときに必要な座標軸が「考え方」であり「哲学」である。判断を回避する経営者が論外なら、状況に付和雷同して決める経営者も問題外である。
悩んで困り果てた時は、原理原則に基づいて判断する。原理原則とは「人間として何が正しいか」ということ。