残暑お見舞い申し上げます。お元気でいらっしゃいますでしょうか。
とはいえ、8月も後半になりました。
今日は3時起きで事務所の引越しをしました。
じつは、お知らせに書きました通り9月1日付で事務所の移転をいたします。
移転といいましても、銀座7丁目から6丁目に移動するだけですので、
物理的なことは大したことはないのですが、
会社の移転となりますと様々な手続きが大変ではあります。
弊社は8月が決算で、9月から新しい期が始まります。
心機一転して、より精進してまいりたいと思っています。
今後とも、一層のご指導とご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。
8月に入り、プライベートでは、前半は夫の入院・手術、姑と実母の初盆と、
慌ただしくしておりました。ただ、その分、例年より家庭と向き合う時間が増え、
穏やかに過ごすことができたように思います。
夫の手術は無事に終わり、快復に向かっています。
お盆が明けたと同時に、世の中も動き出したせいか、
私の仕事も急激に繁忙を極めております。
このブログを書きながらも、今日やるべきことが頭の中にぐるぐる渦巻いています(笑)
さて、今回も私が経営の要諦を学んでいる稲盛和夫さんの講和をお届けします。
機関誌47号より。
・宗教について
日本ではかつて宗教が信じられていた。日本では江戸時代まで仏教、神道、弾圧を受けていたもののキリスト教も盛んだった。ところが明治維新の際に新政府の施策として廃仏毀釈が行われた。これは、18世紀のヨーロッパで起きた産業革命による近代科学の発達に日本も遅れまいとしたもの。一方で、近代国家を作るために必要なモラルを保つために宗教の教えの代替として教育勅語を作った。これは、日本の道徳観、倫理観を表したものだが、国家主権が強くにじみ出たもので、侵略戦争に利用されてしまった。敗戦後、忠君愛国の教育は否定されたが、同時に本来教育勅語にあった道徳観、倫理観も否定されてしまった。ますます日本人は宗教と縁遠い生活を送ることとなった。現代を生きる多くの人は、死後の世界があると信じず、肉体が滅びれば全て終わりだと思っている。来世に関心がないため、自分だけが儲かればいいと考えてしまう。会社が永続的な繁栄をするためには、自分の周りにいる人たちを少しでも良くしてあげたいという利他の気持ちを持たなければならない。人間の肉体が死んでも「魂」あるいは「意識体」(魂を取り巻く本能・感情や感覚・理性)として残り、輪廻転生をして、次の肉体に宿り現世に出てくる、と塾長は考えている。この魂を高めるために、塾長は毎朝、仏壇の前で「般若心境」「座禅和讃」「延命十句観音経」「四弘誓願(じぐぜいがん)」という四つのお経をあげている。その中の「座禅和讃」は次の通り。
衆生(しゅじょう)本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻(ろくしゅりんね)の因縁は 己が愚痴の闇路(やみじ)なり
闇路に闇路を踏そへて いつか生死(しょうじ)を離るべき
それ摩訶衍(まかえん)の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
その品多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣いづくにありぬべき 浄土即ち遠からず
辱(かたじけな)くも此の法(のり)を 一たび耳に触るる時
讃嘆随喜する人は 福を得ること限りなし
況(いわん)や自ら廻向(えこう)して 直(じき)に自性(じしょう)を証すれば
自性即ち無性(むしょう)にて すでに戯論(げろん)を離れたり
因果一如(いんがいちにょ)の門ひらけ 無二無三(むにむさん)の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所(よそ)ならず
無念の念を念として 歌うも舞うも法の声
三昧無礙(ざんまいむげ)の空ひろく 四智円明(しちえんみょう)の月さえん
この時何をか求むべき 寂滅現前(じゃくめつげんぜん)する故に
当処(とうしょ)即ち蓮華(れんげ)国 この身即ち仏なり
「座禅和讃」は、私は毎週日曜日の朝、読む習慣にしています。
とても心が整いますので、皆様もお試しになってください。